米ニケーション
相澤 一輝
宮古市立津軽石中学校1年
「いただきます。」
朝の始まりは、仙台のおばあちゃん直伝の通称ぽっぽばあちゃん卵焼きと、母お得意のちくわの照り煮。この最強コンビを目の前に、時計を気にしつつご飯を食べる手は止まらない。母の作るご飯は世界一。僕は絶対に残さないということを心に決めている。そう思うようになったのは小三の北海道に住んでいたあの日からだ。
二〇一八年九月六日。夜中に突然大きな揺れを感じた。北海道胆振東部地震だ。停電は四、五日続いた。食べるものはパンやお菓子。家の中は真っ暗だった為、避難所で数日過ごした。店に行っても、売られているのはパンや菓子類ばかり。パンが好きな僕でも、さすがに飽きてしまった。そんな時、母の友人が温かいおにぎりを作って、避難所に届けに来てくれた。真っ白でシンプルな塩おにぎり。しかし、その時の僕には、まるで光り輝くダイヤモンドのように見えた。久しぶりのお米に感動し、一粒一粒大事に食べた。僕は、あの時の一口目の味わいは一生忘れないだろう。
考えてみると今まで、店で売っている米を食べたことがないことに気付いた。親戚が米農家の為、その人から買ったり頂いたりしているからだ。お中元、お歳暮と言えば米。僕の体はその米でできていると言っても過言ではない。親戚の熱い想いが込められたお米を毎日食べているからこそ、学校や部活動の野球を頑張ることができる。ありきたりな言葉だが、まさにパワーの源だ。
野球をしていると言えばかっこ良く聞こえるが、実は僕はど素人だ。野球経験のある同級生には到底敵う訳がない。そこで僕は考えた。『米を食おう。』朝はパン食が好きだった小学校時代。中学生になってからは給食の時間が十二時四十五分と少し遅くなったので、腹持ちの良いご飯に変えた。どうしてもパンが食べたい時は、おにぎりを追加することにした。野球の試合の合間には、栄養補助食品におにぎりを持っていくようにした。お米を食べるとやっぱりやる気がみなぎってくる。学校の先生も身体作りに協力してくれて、給食の時間に大きな鍋を持って来て、
「いっぱい食べて強くなるんだぞ。」
と言っては皿いっぱいにおかずやご飯をよそってくれる。先生の期待を背に受け、溢れんばかりの給食を一心不乱に食べる自分がおかしくもあり、嫌いではない。この作文を書いている今も、父特製チャーハンを「ウーバーイーツ」と称し、二階の部屋に届けてくれた。岩手が誇る南部鉄器製中華鍋で作るチャーハン。栄養満点、愛情たっぷり。僕の大好物だ。
親戚、先生、家族、たくさんの人達に支えられて中学校生活に全力投球できている今、ありがたさを身に沁みて感じている。一杯のご飯から伝わるたくさんの思い。愛が、夢が、未来が、茶碗の中いっぱいに詰まって岩手山の如く山盛りになっているのだ。食事中に繰り広げられるたわいもない会話や笑顔も、全てご飯を通じて温かいものとなるから不思議だ。米と人との共存、これこそ『米ニケーション』と言えるのではないだろうか。自然豊かなここ岩手。登下校中の自転車から見える緑いっぱいな眺め、海からの心地よい風、ほんのり香る潮の匂い、津軽石川の優しい流れ。この景色、匂い、音、全てを全身で感じ、今日も勉学に部活動に励んでいる。
汗びっしょりで帰宅すると、食卓に並ぶ美味しそうな夕ご飯。お隣さんから頂いた魚をサクサクのフライに。妹が夏休みの観察で育てた真っ赤なミニトマト。それを弟が今か今かと狙いを定めている。国語の授業で音読を褒められたこと、部活動でフライの球を上手にキャッチできたこと、口を動かし箸を動かしお腹いっぱいだ。
そして今日も美味しいご飯に感謝を込めて
『ごちそうさまでした。』