岩泉町の地域おこし協力隊として活動する洋平さん。一度は実家の果樹園を継ごうと地元に戻るが、若さゆえの憧れで東京へ。結婚を機に妻に背中を押され夫婦で地元に移住。実家の農園を守るため協力隊としてリンゴや桃の知識や栽培技術を磨いている。
実家は果樹農家で、小さい頃から祖父の手伝いをしていた。高校から地元を離れていたが、休みには実家で農作業を手伝っていた。「いずれは農園を継ぐのだろうと思っていた」と話す。
千葉県の大学に進んだ洋平さんだが、卒業後は実家に戻り祖父のもとでリンゴ栽培を手伝っていた。小さい頃から思い描いた通りの人生ではあったものの、洋平さんの気持ちに変化も表れ始めていた。音楽が好きでライブや音楽フェスによく足を運んでいて、こんな仕事をしてみたいという憧れの気持ちも強くなっていた。「中学生以来の地元の生活に物足りなさも感じていた。今思うと若かったなぁと感じる」と苦笑いする。のちに東京のイベント会社に就職し憧れの仕事に就いた。
その後、実家の農園は祖父と母が、体力の低下などで続けていくことが厳しくなっていた。「家族会議もしたが大変ならやめた方がいいのではと話していた」と話す。一度は継ごうとした洋平さんには複雑な思いもあった。
そんな中、結婚をした洋平さんに転機が訪れた。お互い仕事をしていたが「妻にいずれは地元に戻りたいと話をしたら『戻るなら早い方が良いんじゃない?』と言われた。都会育ちの妻が、田舎暮らしをどう思っているか気にしていたが、実際に生活する今では地域の人とも親しくなり楽しそうにやっている」と笑顔を見せる。地元に戻るのであれば実家の農園をと考えていた時、役場から連絡があり協力隊の話をされた。結婚から1年後、夫婦で岩泉町に移り住み、協力隊として活動しながら実家の農園の未来を真剣に考え始めた。
令和5年から協力隊としての活動が始まった。地域のリンゴ農家の手伝いや新しい取り組みに挑戦しながら、リンゴ栽培を学んでいる。「子どもの頃から手伝っているので、1年の流れは知っているものの分からないことも多い。知れば知るほど分からなくなる。自然相手の仕事の大変さもあるが自然の力はおもしろさもある」と笑顔で話す。2年目には、ある農家から相談されヨーグルト農法にも挑戦。やってみないと分からないという気持ちを持ち、耕作放棄地の有効活用も模索している。
そして、実家の農園についても「将来的には規模拡大を考えている。作業を分散するためリンゴと作業が重ならない桃を増やし、農業に興味を持った人が働きやすい仕組みづくりも必要。遊休農地も有効に使っていきたい」と話す。
令和8年の就農に向け、自らの経営の方向性も考えている。そして「妻のおかげで今がある。生産量は少ないが岩泉町のおいしいリンゴを広く知ってもらい、妻も気に入ったこの町を盛り上げていきたい」と話す。小さい頃から農業を手伝っていた洋平さん。経営という視点で未来を描き始めている。
「昨年、子どもが生まれたので今は子ども中心の生活。いつかは家族でライブ行ければうれしい」と話す洋平さん
※広報誌「夢郷」 2025年1月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。