農のかたち〜私流〜

担い手として 飼養技術を磨く

雫石町の実家で母と繁殖牛10頭を飼養管理する称太さん。令和2年の春からは、叔父が経営する繁殖牛30頭と肥育牛20頭の飼養管理もこなしている。ブランド「雫石牛」の産地の後継者として飼養管理の技術を磨いている。

畜産農家を目指すきっかけ

祖父の代から畜産業を営み、牛に携わってきた称太さんは小さい頃から牛の世話を手伝ってきた。将来は自分が継ぐという気持ちは持っていたが、実家は繁殖農家としては決して規模が大きいとは言えなかった。

牛の飼育をしている様子

一方、手伝いにも行っていた叔父は繁殖牛30頭、肥育牛20頭の一貫経営で規模も大きく経営していた。実家では手作業が多かったが、叔父のところでは機械化も進み農業へのイメージも変わっていった。「機械での作業が多く、叔父に農業の楽しさを教えてもらったことで、本気で農業の道を進もうと考えました」と当時を話す。

将来に向けて、盛岡農業高校、岩手県立農業大学校に進学し、畜産について学んだ。卒業後は地元で就職し、乳牛の管理を仕事としていた。「和牛との違いはあるが、『牛』という生き物の基本的な知識を学べ、学校ではできない経験ができた」と話し、当時の経験が和牛を飼養管理する今にも生かされている。

牛の飼育をしている様子

繁殖農家と肥育農家

その後会社を退職し、実家の繁殖牛の世話をしながら叔父の手伝いをしていた。そして数年後、後継者がいない叔父は将来的には経営を手放す話しがあった。「小さい頃から手伝い見てきた牛もいて手放すのはもったいないと思い、将来は自分が継ぎたい」と叔父に気持ちを伝え、令和2年の春頃から将来に向けて本格的に動き始めた。

将来に向けて牛舎の整理をしたり、令和4年には繁殖用の牛舎を新築。叔父から肥育管理を学び、一貫経営の知識を深めメリットを理解するようになってきた。実家が繁殖農家だったこともあり、当初は「肥育は牛を置いておく期間も長く餌代も掛かるので効率が悪いのではと考えることもあった」と話す。今は、自分のところで生まれた子牛を肥育するメリットも感じている。

牛の飼育をしている様子

一方、肥育牛は管理する期間も長く事故によるリスクもあるため、体調管理や食べ残しなど牛の観察には細心の注意を払っている。「餌やりなどの作業の時も見てはいるが、牛を見るだけにも牛舎に足を運んでる」と話す。令和5年11月に開かれた第16回いわて牛後継者枝肉共励会では優秀賞に選ばれ、そんな日々の努力が形となった。「受賞は親身に寄り添ってくれる授精師や獣医師、削蹄師の存在が大きい。そして、自分でやってみて失敗しないと分からないという考えの叔父は、一歩引いて見てもらっていると感じています」と関係する人への感謝の気持ちを語る。

牛の飼育をしている様子

「地元には、大先輩方が築き上げてきた『雫石牛』というブランドがある。そのブランドを無くしたくはない」と話す称太さん。「今はまだ頼れる環境にある。若いうちに聞けることは聞き、生産者や購買者から評価される牛づくりを目指していきたい」と笑顔を見せる。

「牛に感謝」と話す称太さんの優しさが牛にも伝わっているようだ。

プロフィール

簗場 称太

簗場 称太 やなば  しょうた さん

ラーメン好きな称太さん。「ラーメンはコッテリ系が好きなので、食べ歩きをしたい」と笑顔で話す。

※広報誌「夢郷」 2024年2月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。