田野畑村で搾乳牛20頭と育成牛10頭を飼養管理する和也さん。地域おこし協力隊を経て令和5年12月に第三者継承で牧場を受け継ぎ、新規就農した。見栄を張らない身の丈に合った経営を心に、妻の絵理香さんと二人三脚で酪農家として歩み始めた。
青森県で会社員として働いていた和也さんは、田舎暮らしと山での仕事に憧れをもっていた。そんな中、インターネットで調べて最初にでてきたのが、田野畑村の山地酪農だった。「山でも牛が飼えるんだ、というのが最初の印象でした」と話す。木を切って山を切り開き牧野にすることで山が活用でき、伸び伸び牛が過ごせる酪農のスタイルに興味を持った。
酪農への興味が高まる和也さんは、実際に田野畑村にも足を運んでいた。そして、田野畑村の地域おこし協力隊として酪農家を目指す道を選んだ。「初めは協力隊の存在を理解しておらず役場の仕事をするものだと思い込んでいました」と苦笑いする。内容を理解した和也さんは、将来は酪農で起業したい思いを伝え令和2年12月から活動が始まった。
とはいえ、非農家として育ち農業には縁がなく、牛をどうやって扱うのか、トラクターの乗り方も分からなかった。村内の酪農家を手伝う時は「搾乳したことある?」と、よく聞かれていた。「そもそも、放牧されている牛を実際に見たこともなく、何処で搾っているのかも分かりませんでした」と話す。慣れるまで大変ではあったが、日を追うごとに作業にも慣れ面白さも感じ始めていた。「山の草を食べる牛の姿が好きですね。牛も個性があるので、なついた時は嬉しい」と笑顔を見せる。
学ぶ気持ちがあったこともあり、地域の酪農家の皆さんとも打ち解け、色々と教えてもらい技術を身に付けていった。一方、酪農での起業を考え、土地なども探しながら活動していたが、第三者継承での就農を考え始めていた。1年目の後半になる頃「後継者がいない酪農家さんがいたので、私の方からお願いしてみました」と話す。昔、使っていた山も今は使っておらず「活用してもらえるのであれば」と言われ、令和5年12月の就農という具体的な目標が決まった。
「青森県から移住してきているので、人として信用されることを意識しました」と話す和也さん。具体的な目標ができ、やらせてもらえる事も増えることでスキルも身に付けていった。
「ピーマン中心の品目構成で、まわりを見ながら自分のカタチを作っていきたい」と今後について話す勝教さん。当初は不安を感じていたが、今では心強い農家仲間の存在も大きくなっている。研修会や指導会への参加や農作業の手伝いなど交流を深めることで、知り合いも増え、なんでも話せる仲になっている。「近くに、しっかり農業経営をしている方がいるので目標になる。今の自分は苦しみながらも自分でやってみる時期だと思う。夢を語れる仲間がいることに感謝している」と微笑み、技術の向上、知識の習得、そして「交流」を大切に、自分の将来の姿を描き始めているように感じられる。
そして、「まずは、父の米作りのサポートと自らの野菜作りをしっかり両立することで、地域の農業を盛り上げていきたい」と、目を輝かせている。
キャンプが好きな和也さん。大工の経験もあり「自宅にウッドデッキを作る予定」と笑顔で話す。
※広報誌「夢郷」 2024年1月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。