岩手県沿岸部の田野畑村でブロッコリー2ha、露地ピーマン60a、ネギ20a、ニンジン2ha、スイートコーンなどの野菜を生産する真文さん。常にチャレンジの気持ちを忘れず経験を重ねながら規模を拡大してきた。現在は妻と母、パート6人を雇用し、常に模索とチャレンジする気持ちで農業と向き合っている。
真文さんが就農したのは22年前の21歳の時。建設関係の仕事をしていたが父が体調を崩し、田植えや稲刈りを手伝うため遠方の現場から駆け付けていた。しかし、北海道から関東まで東日本の現場をまわっていたため気軽に戻れなかった。わざわざ手伝うたびに実家に帰ってくるなら、いっそのこと実家の農業を継ごうと思い就農を決意した。「子どもの頃はお小遣い稼ぎで手伝っていたので、農業をやることに抵抗はなかった」と話す。
就農当初は、両親がやっていたハウスピーマンと自家用の田んぼだけだった。土地がなかったことからの経営規模だったが、当時のJAの担当者から「土地利用型」の農業の話しを聞き、その時初めて農地を借りるということを知った。母はハウスピーマンを続け、真文さんはイチゴとブロッコリーの栽培を始めた。「当時は畑を借りる概念がなかったが、30aから栽培を始めたブロッコリーは、圃場を増やすことができ現在は2haまで拡大している」と話す。一方「イチゴは毎年の苗の更新と、栽培管理などに苦戦した」と話し、イチゴ栽培は諦めた。
その後、試行錯誤を繰り返し、キュウリや秋冬キャベツなどにも取り組んだが、労働力や設備面を考慮し、現在の品目構成を作り上げてきた。
現在は、宮古地域野菜生産部会の部会長としても活動している。近年、宮古地域で生産が拡大してきたブロッコリーを起点に、新たな若手農家も増え交流も広がっている。現在では、久慈地域の生産者がピーマンの栽培を学びに来る機会も増えてきた。「田野畑村内は、昔から生産者同士のつながりがあり、オープンで分からない事も聞ける環境だった。今の自分があるのも先輩方のおかげだと感じている。る。
農業は、資料より実際の圃場を見る方が理解できると思っているので、今も他の農家に足を運び学んでいる。これから農業や新たな品目を始めるやる気のある人には圃場見学もそうだが、自分の失敗談を交えながら経験してきたことを伝えていきたい」と笑顔を見せる。教えることも勉強の一つと考えながらも、地域に若い人を増やしていきたいという気持ちの表れだと感じられ
自らの経営では、今年から新たにスイートコーンの作付けを始める。そして、通年の雇用体制を模索し、三つ葉以外の冬場の品目として新たに促成アスパラガスの栽培にも挑戦する。「現状に満足することなく、まずは、やってみる気持ちが大事。失敗しても、それは自分の経験にもなる」と話す。失敗を経験しながらも稼げる農業を目指す姿が、農業という仕事に魅力を感じてもらいたいという信念が感じられる。
冬はワカサギ釣りに行く釣りが好きな真文さん。「海、川にこだわらず、のんびり釣りがしたいです」と笑顔で話す。
※広報誌「夢郷」 2023年7月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。