県都盛岡市の西側に位置し農業が盛んな雫石町で、父と繁殖牛36頭と肥育牛7頭を飼養する豊さん。令和元年に親元就農し、今年で4年目を迎える。
3人兄妹の長男として生まれ育った豊さん。父を手伝い、子どもの頃から牛に餌を与えたり、放牧について行くなど、身近に牛を感じて育ってきた。高校は農業高校へ進学し、その後県立農業大学校へ進んだ。「家を継ぐことは考えていなかったが、農業を身近に感じていたので農業全般に興味があった」と当時を話す。バイオ工学、水稲や畑作などを学んだ豊さんは、地元で花の生産販売する花工房らら倶楽部に就職した。
花の生産を担当し、土づくりから種まきなど数多くの品種の花の栽培をこなす豊さん。「資格の取得や学ぶ機会を多く与えてもらい感謝している」と話し、土づくりの大切さや品種ごとの栽培管理を身に付けていった。
就職して十数年がたち仕事にも慣れてきたころ、父と飲んでいた時に「一緒にやらないか?」と切り出された。世話になった会社の事や経験がないことに不安も感じた豊さんだったが、いつかは自分でやるという気持ちも芽生えてはいた。「当時は社員として働いていたが、いつかは自分で経営しようという気持ちもあった。父の一言があったので決断できた」と当時の心境を語る。会社を退職した豊さんは、家族経営協定を結び令和元年7月に親元就農し、新たな人生のスタートを切った。
「仕事をしながら餌やりを手伝い、父の姿も見てきたが正直分からない事が多かった」と就農当時を話す。牛の生理現象まで気に留めてはこなかったので、餌をあまり食べないことや授精しないなど、牛も一頭一頭個性があることを痛感した。豊さんは牛の観察力をつけるために市場に足を運んだり、研修会などにも積極的に参加した。「分からない事は多く、まずは自分で調べて周りの人に聞いているが、教えてくれる先輩方や同世代の仲間がいるので心強いですね」と笑顔を見せる。
就農当時は飼養頭数を大幅に増やすことでトラブルもあったが、やっと軌道にのってきている。
「まだまだ分からない事も多く難しいけど、牛を育てるおもしろさを感じている。今は知識や経験を積んで、安定した経営ができるよう自分を磨いていきたい」と話す。牧草は土づくりから意識し栄養価の高い餌づくりを心掛け、現在ある牛舎を最大限に使い、収益の向上を目指している。
令和3年11月に東京で開かれた第14回いわて牛後継者枝肉共励会で優秀賞に選ばれた豊さん。「繁殖、肥育の一貫経営なので、牛が生まれた時から分かっているメリットはある。地元では『雫石牛』のブランドもあるので、ブランドに恥じない牛を、これからも出荷できるようにしていきたい」と話す。
そして、「このようなきっかけを与えてくれた父に感謝しています。一日も早く経営者としてやっていけるよう技術も磨いていきたい」と目を輝かせる。
スポーツ少年団で野球をする二男も今年6年生。「時間をつくりおっかけを楽しみたい」と話す。
※広報誌「夢郷」 2022年2月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。