岩泉町で、両親と酪農を営む貴喜さんは現在、昨年の春に新築した牛舎で搾乳牛17頭、育成牛19頭を飼養している。
身近に牛がいる環境で育った貴喜さんは牛が好きで、小さい頃から好んで餌やりなど牛の世話をしていた。しかし、小学生になり物心がつく頃には恥ずかしいという気持ちも芽生えてきた。
「牛がいるのが当たりまえの環境で育ってきたが、小学校に入ると牛を飼っていない人も多く、その当時は酪農や農業がカッコ悪いと感じ始めていました」と話す。その頃から手伝う機会も減り牛から離れるようになっていった。
その後、祖父の加齢に伴いリハビリに興味を持った貴喜さんは、大学で作業療法学を学びリハビリの仕事に就いた。
実家から離れて働く貴喜さんだったが、就職から2年目の時に両親が体調を崩し実家を手伝う機会が増えてきた。「酪農の仕事は嫌いじゃなかったけど、突然頼まれることもありました」と当時を話す。
このままではどちらの仕事にも影響がでるので、実家に戻り地元でリハビリ関係の職場で働きながら実家の酪農の仕事をこなすようになった。
そんな貴喜さんだったが、地元の若手酪農家の勉強会に参加した時、自分の酪農に対する知識の無さを実感した。「酪農を身近に感じ仕事としてやっていたつもりだったが、他の酪農家との知識の違いを感じた」と話す。
頼まれてやっていたことがあくまで「手伝い」だと気付いた貴喜さんはリハビリの仕事を辞め、酪農の仕事に専念するため1年間酪農ヘルパーとして働いた。
「実家しか見てこなかったので、他の酪農家のやり方や設備の違いなどとても勉強になった」と話す。そして平成30年の9月から両親のもとで酪農の仕事を本格的に始めた。
就農当時について「最悪でした。自分なりに学んできたことを生かし効率良く仕事をしようとしたが、父と意見が合わずぶつかってばかりでした」と苦笑いする。長年やってきた父の経験と、今から効率良く経営しようとする貴喜さんの食い違いが続いた。
そんな中、父が元大工だったこともあり、2人で牛舎を建てることになった。設計から始まった牛舎の新築は、2人の意見のぶつかり合いと協力の中で進んだ。
「これから何十年と使っていく牛舎なので、効率よく働けるようなものにしたかった」と話す貴喜さん。山から木を切り出し、まわりの人にも協力してもらい完成させ、令和3年4月から稼働した。
将来について「まだまだ分からないことが多い。今は、この牛舎をフルに使って搾れるようにするためにも周りの人や父からも多くを学んでいきたい。そして、ここに合った酪農の形を自分なりに作っていきたい」と話す。
また「周りの人にとても良くしてもらい本当に感謝の気持ちしかない」と笑顔をみせる貴喜さん。
一度は離れた牛好きだった少年が、牛のいる生活を進み始めている。
ワカサギ釣りが好きな貴喜さんは「将来は子どもと一緒に行ってみたい」と笑顔で話す。
※広報誌「夢郷」 2022年1月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。