八幡平市で水稲13ha、露地ピーマン15aなどを作付けし、両親と農業を営む新伍さん。東京の外資系企業でサラリーマンとして働いていたが実家に戻り、令和2年の春から両親のもと農業を始めた。
幼少期は田植えや稲刈りを手伝っていた新伍さんだが「正直、嫌々やっていました」と苦笑いする。そんな中、中学生の頃に英語に興味を持ち始めた。将来は英語を使った仕事をするため高校、大学と外国語を学んでいたが、英語を学ぶ中で音楽を好きになり、どっぷりとはまっていった。「音楽にのめり込みすぎて勉強どころじゃなくなっていました。それで学校に行かなくなり、最終的に親にバレて実家に呼び戻され、とんでもなく怒られたことを今でも覚えています。人生最大の修羅場でした」と話す。
その後、学んだ英語を生かして東京で就職し働いていたが、転機となったのが夏休みに帰省し、釣りや山歩きを楽しんでいた時だった。幼少期には感じなかった自然の良さなど地元の魅力を改めて感じ、実家に戻ろうと考え始めていた。
当初は地元に帰る口実として実家の農業を継ごうと考えた。しかし、農業について真剣に考え「自分が農業をすることで地域の田畑を荒らさずに済む。夢のまた夢だが、最終的には自分の家だけでなく地域そのものを継承していきたいという気持ちが強くなった」と話す。考え抜いたことが自分の本心となり、両親からは「考えが甘い」と言われたが、実家に戻り農業を継ぐことを決意した。
そしてもう一つの決め手となったのが両親の存在だった。「兼業農家としてほとんど休む事なく働きながら兄妹3人を育て、やりたい事をやらせてもらった。そんな両親のライフスタイルに感謝しつつ、憧れています」と笑顔をみせる。
農業を始めて感じたのは「農業をなめていた」ということだった。予備知識がほぼない状態で就農したため覚える事がとても多く、気象や土壌など、自分でコントロールできない事が多いと感じた。「自分で考えて、失敗して仕事を覚えろ」という父の教え方に従い、失敗も経験してきた。しかし、なぜ失敗したか、どうしたら次は失敗しないかを常に考えるようにしている。「失敗することで覚える事もあり、考える事で新しいことにもチャレンジできる」と話し、農業のおもしろさも感じている。
そして、新伍さんが特に感謝しているのが地域の人たちだ。「色々教えられ助けられ感謝しています。だからこそ、ちゃんと覚えるよう心掛けている」と話し、尊敬の気持ちを大切にしている。
「将来に向けて取れる資格はとっておきたい。資格取得のための勉強も私の営農の一環です」と新伍さんは話す。作業は両親と話し合い、省力化・効率化について日々試行錯誤している。「効率が良くなれば収益もついてくるし自分に余裕もでてくる」と話す。
今年からドローンによる防除も始め「作業受託も行っているので、地域の方が少しでも楽ができ長く農業を続けてもらえればと思っています。また、新しい技術の導入で若い世代が農業に興味を持ってもらうきっかけになれば」と笑顔で話す。
農業を始めて日は浅いが、地域農業を支えていく将来が楽しみな担い手だ。
釣りが大好きで、よく渓流釣りに出かける一方、八幡平市柔道協会に所属し現役で試合に出場する傍ら、小中学生に柔道を教えている。
※広報誌「夢郷」 2021年9月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。