沿岸に位置する宮古市で、両親とブロッコリー約1.4ha、ニンジン50a、キュウリ15aを栽培する義明さん。令和2年に本格的に実家で就農し、2年目を迎える。
実家は兼業農家で、キュウリなどの野菜を栽培していたが「子どもの頃は農業に興味もなく、車が好きで整備士になりたいと思っていました」と、当時を話す。農業を継ぐという選択肢はその当時はなかった義明さんは、工業高校へ進学し一般企業へ就職した。
転機が訪れたのは31歳の時だった。知人の紹介で農機メーカーの整備士として働くことになった。もともと車の整備が好きで知識もあったので農業機械の整備も抵抗はなく、修理後の試運転や展示会などもこなしていた。そして、農家に顔を出す機会が増え、農業に対する考え方が変わってきた。
「農業機械のことで農家と話しをする機会が増え、農業に魅力を感じるようになってきた。楽しそうに話しをする姿が印象的でした」と話す。機械が好きということと、自分が経営していくという農業に面白さを感じるようになっていた。
そして、実家に畑があると気付いた義明さんは、野菜を作ろうと動き始めた。
令和元年7月に農機メーカーを退職し、実家のキュウリ栽培の手伝いから農業に取り組み始めた。「父は兼業なので、収穫や防除など作業が追い付かなかったことから手伝い、農業を一から学びました」と話す。
翌年はブロッコリーを40aから1haに栽培面積を拡大し、秋にニンジンの作付けを計画した。「農業を始めるまでこの地域でブロッコリーを栽培していることを知らなかった」と話す。近所の畑も借りて、種まき、育苗から作業を始め、本格的に農家としての生活が始まった。
農業を始めて感じたのは「やってみたら楽しい」ということだった。播いた種が芽を出し、成長していくのを見るのが新鮮だった。「体は疲れるが、辛いとか大変と感じたことはない」と笑顔で話す。大きな失敗はないものの、知識が少ない義明さんは、JAや普及センターに分からないことを聞いて、一つずつ覚えていった。
「水や肥料は見れば分かるが、病気などは分からないことが多い」と話す。そんな義明さんの支えにもなっているのが、近所や地域の野菜農家の存在だった。「若い人が多く相談もしやすい。農業を始めるには良い環境だった」と、笑顔を見せる。時間があれば畑を歩き、野菜の成長を見守る義明さんは「毎日が楽しい。子どもの頃に父を手伝って作業などを覚えておけば良かった」と苦笑いする。
将来について「規模拡大とか言うとかっこいいですが、今は家族でできる範囲の規模を維持し、栽培技術と知識を深めていきたい」と話す義明さんは、まわりの農家を先生と慕っている。先輩農家として年齢は関係なく相談でき、義明さんの原動力にもなっている。
農業を楽しむ気持ちを根底にもちながらも、経営や地域の農業環境なども意識し、先を見据えている。
経験や知識、技術を確実に身に付けていく事が今やることと理解し、まわりに仲間がいる環境に感謝しながら、農家として道を確実に歩み始めている。
「おもしろいと思ったことはとことんやる」と笑顔で話す義明さん。
※広報誌「夢郷」 2021年7月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。