久慈市北部に位置する侍浜地区で繁殖牛38頭と育成牛3頭を飼養する英幸さんは、今年で就農5年目を迎えた。
繁殖農家の長男として生まれ育ち「将来は自分が継ぐのだろうと考えてはいたが、父からはその話しをされたことはなかった」と話す。子どもの頃から父を手伝い牛の世話をしながら育ったが、高校卒業後は大学に進学。そして、宮城県で就職が決まった英幸さんは、高校卒業後は実家を離れて生活を送っていた。
いずれは就農することを考え、環境など子どもたちへの負担の少ない小学校入学のタイミングで実家に戻ることを父に相談したが「まだ早い」と言われた。しかし、父が元気なうちに色々教えてもらうため、反対されたがその1年後の平成29年3月に辞め家族とともに実家に戻り就農した。
実家に戻り就農した英幸さんは、最初に大型特殊とけん引の免許を取得した。牛の世話はしていたが、牧草の刈り取りなどの経験はなく、父から教わりながら作業を覚えていった。
しかし、就農1年目の秋に父が亡くなった。「1年の仕事の流れは何となく分かったが、まだまだ教えてほしい事がたくさんあった」と当時を話す。
父が亡くなり教えてもらうことができなくなった英幸さんを支えてくれたのはまわりの農家の方たちだった。「父は交友関係が広く、就農したことを知っていたので声をかけてもらった。相談できる人がまわりにいることで、やりやすい環境になった」と話す。
そして、就農のために戻ってくる話しに父が反対した理由も分かった。「長期休暇にしか実家に帰れなかったが、トラクターや牛舎が新しくなっていた。父は繁殖農家として仕事をしやすい環境を整えてから私に引き継ごうとしていたのだろう」と話し、父の偉大さを感じている。
父が亡くなり自分なりに頑張っていたが、父が育てた牛との質の違いを感じていた。経営のかたちを見いだすため、先輩などに教わったことを確実に実践し経験を積み上げていった。そんな英幸さんをそばで支えてくれたのが妻の克美さんだった。
「この仕事を受け入れてもらい、一緒に牛の世話をしている。作業日誌を付けるなど目に見えない所で支えてもらい感謝している」と笑顔を見せる。就農から2年目までは苦労が絶えなかったが、二人三脚で知識と経験を積み上げ、3年目には自分たちの経営のかたちが見えるようになってきた。
「繁殖農家一本でやっていくため、3年を目途に50頭まで規模拡大を考えている」と話す英幸さん。自らの経営の収支バランスを考えた中で、餌づくりや管理の質の向上も意識している。親牛の素質の見極めも必要で、自家保留から導入も検討している。
「まだまだ勉強することは多いが、土台を作ってもらった父と、気にかけてくれるまわりの人に感謝し、次のステップに進んでいきたい。そして同年代が地元に戻ってきて農業を継いでいるので、若い世代の繋がりをつくっていきたい」と話す。感謝の気持ちを大切にする将来が楽しみな担い手だ。
ドライブが好きな英幸さん。「子どもたちにも仕事を手伝ってもらっているので、年に1回は家族を旅行に連れて行きたい」と話す。
※広報誌「夢郷」 2021年5月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。