短角牛や畑わさびの生産が盛んな岩泉町。そこで酪農を営む祐太さんは、同町の酪農家から令和2年10月に経営を移譲し、搾乳牛36頭と育成牛20頭を飼養している。
盛岡市のサラリーマン家庭の長男として生まれ育った祐太さん。酪農との出会いは、母の実家に夏と冬に帰省した時で、酪農を経営する祖父母の家で一緒に牛の世話をした時だった。祐太さんは、搾乳の時、ミルカーをつけて搾った生乳が流れていくのが面白く、小学2年生の頃からは、週末にバスで祖父母の家に行き牛の世話をするようになった。
高校進学は酪農の道へ進もうと、盛岡農業高等学校への進学を考えていた。「酪農の仕事を見て育った母は、その大変さも分かっていたので反対されました」と話す。しかし、自分の夢を叶えるため両親の反対を押し切り、盛岡農業高校への進学を決意した。
盛岡農業高校へ進んだ祐太さんは「やりたいことがいっぱいあって、仲間とも話しが合うので楽しかった」と、当時を話す。初めて農業を志す仲間と出会い、厳しい中にもやりがいを感じていた。学校では牛の世話をする当番があるが、その日以外も祐太さんは朝早起きして牛の世話をしていた。そして、毎日牛の世話をするためだけに高校の3年間は寮生活を続けた。
卒業後は、特別専攻科に進み勉強しながら、葛巻町の酪農家で働き始めた。学校では学べない、農業、酪農を目の当たりにした。実家が農家として生まれ育っていない祐太さんが、本当に酪農をやっていくための知識や経験が叩き込まれた。
「農家でなかった自分が、本当に酪農でやっていくための2年間だったと思う。厳しくなかったと言えば嘘になるが、最後に、よく頑張った!と言われた時は嬉しかった」と、当時を振り返る。
特別専攻科の卒業と同時に、祖父のいる岩泉町へ行き、祖父の手伝いをしながら、酪農ヘルパーと牛群検定員として働いた。「酪農ヘルパーの仕事は、生産者ごとにやり方が違うのと、レベルの高い酪農家が多かったので勉強になった。小さい頃から祖父の所へ通っていた岩泉町は第2のふるさとですね」と笑顔で話す。
そして、令和元年の秋ごろ、酪農ヘルパーとしてで行っていた酪農家が酪農をやめる話しがあった。酪農家になることが夢であった祐太さんは牧場主と話をして、その牧場の経営を受け継ぐことを決意した。昨年の4月から半年間の研修を経て経営を移譲された。令和2年10月1日、夢であった酪農家としてのスタートを切った。
子どもの頃から酪農の仕事に憧れ、農業高校、葛巻町の研修先、酪農ヘルパーの仕事を通して、酪農の仕事については知識と経験を積んできた祐太さんだが
「牛の世話は今まで経験してきたが、事務的な仕事などは初めてでやる事が多い。経営者の立場になって、牛が倒れたらどうしようなど、今までなかった緊張感を感じている。大変さもあるが、反面楽しさも実感している」と目を輝かせる。
負けず嫌いな性格の祐太さんは「改良にも興味があり、共進会や乳質改善など、何かで1番になるのが今の目標」と話す。信念を貫き、夢を叶えた祐太さんの酪農家としての生活が始まった。
夏はバギー、冬はスノーモービルと、モータースポーツが好きな祐太さん。
※広報誌「夢郷」 2021年1月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。