宮古市のシンボル「ラサの煙突」は市街から南方にある小山田地区の通称「煙突山」の山上にそびえ立っています。
この煙突の歴史は古く、昭和14年6月、ラサ工業(株)宮古工場精錬所の創業と同時に完成しました。日本第2位の高さを誇るコンクリート製の大煙突で、高さは160mですが標高90mの「煙突山」の山上にあるため、地上からの高さは250mにもなります。根元の直径は10m、先端は5mと、あまりの大きさのため市内のいたるところから見ることができ、完成当時は「東洋一の大煙突」と呼ばれていました。
太平洋戦争末期の昭和20年8月9,10日。宮古市の同精錬所を初めとした湾岸の施設や湾内停船中の輸送船などが米軍による空襲の標的となり、周辺は焼け野原になるほどの被害を受けました。しかし、この煙突だけは米軍機の度重なる爆撃にも耐え、ついに壊れなかったと伝えられています。
見る人のその時の感情や見る角度、季節、天候、時間によって全く異なる表情を見せる「ラサの煙突」。何でもない風景で、特に気を付けてみることもありませんが、宮古市民にとってなくてはならない煙突です。
天気の良い日は閉伊川にその雄大な姿が映し出されます。
※広報誌「夢郷」2014年4月号掲載時の情報です。詳細情報が変更となっている場合がございます。