キャベツの出荷時期
キャベツの主な産地
ブランドキャベツ(いわて春みどり)の歴史
岩手町は、戦前からキャベツ栽培が盛んで「南部甘藍」として出荷されていました。一時は国内のみならず中国、台湾まで出荷していました。しかし、消費者の嗜好性の変化と輸送の問題「ゴマ病」の異常発生により壊滅的な打撃を受け衰退の一途をたどりました。
その後、昭和59年に生産者有志がキャベツ産地をもう一度作ろうと立ち上がり「柔らかく、甘いキャベツが夏場に欲しい」という消費者の要望に着目し、従来の寒玉系品種とは異なる質の高い春系品種を導入しました。春系は、栽培は難しいと言われておりましたが、あえてリスクをおい、取り組んだのでした。
この、夏場のキャベツには春系であることに加え、夏場で緑が濃いことから、みずみずしさを表現した「いわて春みどり」のネーミングで差別化を図りオリジナルブランドに成長させました。
岩⼿キャベツ物語「100年のキャベツ産地」
岩⼿とキャベツ
日本人の食卓に欠かせない野菜となっているキャベツは、明治時代に日本へやってきた西洋野菜で、当時は「甘藍(かんらん)」と呼ばれていました。岩手県では、県都盛岡を中心に、いち早く「甘藍」の栽培を始め、人々はその丸い形状に親しみを込めて「玉菜(たまな)」と呼び、丹誠込めて育ててきました。
明治37年(1904)には、盛岡市近郊において、岩手の風土に適した「南部甘藍」が育成され、鉄道を利用した東京出荷も試みられるようになりました。
―――以来、100年余り。岩手の大地に生きる人々は、キャベツと深い関わりを持ちながら、歩みを共にしてきました。