雫石町でキュウリ10aと水稲13haを作付けする建太さん。知り合いの農家でのアルバイトを機に農業の道を志し、2年の研修を経て令和3年に就農。大学では経営学を学び、自営業を目指していた建太さんは農業という分野での経営をスタートした。労力と経費、投資などのバランスを見極め、収益性を高めるためのPDCAサイクルを実践している。
雫石町で生まれ育った建太さん。小さい頃に始めたスキーで実力を付けていき、岩手県の代表にもなっていた。高校と大学もスキーができる学校へと進学していった。そんな建太さんも大学に入り、将来のことを考え始めていた。「漠然とはしていたが、地元に戻って自分で何かを経営してみたいと考えていました」と当時を話す。
転機となったのは、大学3年生の夏休みの時だった。「スキーを教えてもらった方が農家で、アルバイトをさせてもらいました。楽しそうにやっている姿を見て、この人たちはこれで生活しているんだなぁって漠然と思いました」と話す。農業は栽培の仕方や手を掛けることで収量が増え、うまくやれば結果に跳ね返ってくるという所に魅力を感じていた。
そして、祖父母が昔やっていた田んぼがあり、就農に向けた研修制度があることを知った。「自営業を目指したことと農業を始めるための環境があることで考えが一致した」と話す。就農への気持ちが固まり、大学の卒業を機に地元に戻り、就農に向けての研修をスタートした。
研修先の農家は、水稲を始め多品目の野菜を栽培していた。さまざまな作業を経験するなかで、就農時の品目としてキュウリを考えていた。「野菜の中でも収益性は高いのはもちろん、色々な育て方もある。やり方次第で変わるおもしろさを感じた」と話す。また、一人の労働力での就農のため、多品目を栽培するより一つに絞って収益を上げようという考えもあった。
2年間の研修を終えた建太さんは令和3年の春に就農した。研修はしたものの農業の経験は浅く、基本はあるけど気候は毎年違い、教科書通りにはいかなかった。「最初は田んぼの水管理や防除のタイミングが分からず、雑草だらけになった圃場もあった。なんとなくやっている様に見えても、周りとの差を実感しました」と苦笑いする。
経験が少ない分、分からないことは先輩農家から聞くなど勉強を続けてきた。令和5年の夏は猛暑だったが、キュウリに灌注機を使ってなんとかしのいだ。「天候に左右されない栽培のため今年は潅水チューブを導入した」と話す。キュウリでしっかり収益を上げるため、毎年できることを考え実践している。稲刈りが始まる9月後半まで収穫できるよう、日々の管理作業も手を抜いていない。
「農業で100点はなかなか取れない」と話す建太さんは、毎年1年を振り返り、来年に向けて計画、実行、評価、改善を繰り返している。自営を目指していた青年が、経営という視点から未来の農業を作り上げている。
2人の子どもと遊ぶためにも農作業の効率を考え、家族との時間を大切にする建太さん
※広報誌「夢郷」 2024年8月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。