宮古市で、ブロッコリー50a、トウモロコシ30a、玉ねぎ10a、トマトとミニトマト5aなど、野菜を生産する憲幸さん。複数の野菜を組み合わせた経営を進め7年目になる。
幼少期は周りに畑や田んぼがある環境だったが、実家は農家ではなく農業に触れることなく育ってきた。農業に関わるようになったのは大学生の時からだった。高校時代の先生のすすめもあり岩手大学の農学部に進学。環境問題や組織培養などを学んでいたが、当時経験した農業実習の時に「畑の草取りや牛舎で牛の世話など、大それたことはしなかったが、初めての経験で楽しいと感じた」と話す。
卒業後は青年海外協力隊の野菜隊員として海外に渡ることになり、事前に長野県で野菜づくりを研修し、レタスなどの野菜づくりを体験した。「正直、大変だったけど面白く、自分でもできるのではないかと思った」と当時を話す。この頃から、大学時代に興味を持ち始めた農業という仕事を、現実的に考え始めていた。
青年海外協力隊として海外では、学校の農地づくりや野菜づくりをこなし、その後は日本に戻り農業法人に勤め、野菜づくりをしていた。「農業をやりたい気持ちはあったが、独立してやることには不安を感じていた」と話す。そんな気持ちだった憲幸さんだが、地元に戻り地元農家での研修と雇用を得て36歳の春に独立し就農した。
1年目は、借りた畑でトウモロコシなどを作付けした。就農当時について「自分のペースで作業ができる反面、人に甘えられないと実感した。大事なことは自分でやらなくてはならないため休めない日も続いた」と話す。また、一人でやることへの不安を感じていたが、憲幸さんの心の支えとなったのが仲間の存在だった。「一緒に研修した仲間が先に独立していた。困った時や分からないことを相談できる仲間に近くにいるので心強かった」と胸の内を話す。憲幸さんの独立へのきっかけになった存在でもある。
比較的順調ではあったが、強風でハウスが全壊することもあった。「その時は立ち直れないぐらいへこみました」と苦笑いする。その後ハウスは再建し、宮古地域に合った品目構成を考え、ブロッコリーの作付けも始めた。
「農業は生活の一部」と話す憲幸さん。「うまくいくことや失敗することもあるが、農業は好きでやっているので、休めない時もあるが楽しい気持ちが大きい」と話す。次どうするか自分で考え、試行錯誤することも楽しんでいるようだ。
今は収益性を意識した経営を目指し、新たな栽培技術や設備の導入などをすすめる一方で、周りで増えている耕作放棄地を気にかけている。「将来的には、耕作放棄地を借り入れて人の雇用も考える時がくるのでは?」と、地域農業へも目を向け始めている。
就農から7年目となり、農業を楽しみ生活の一部と感じている憲幸さん。「近くに仲間がいるので心強い。その仲間たちと他にはない個性ある産地をつくり、宮古の農業のおもしろさを発信していきたい」と目を輝かせる。
スポーツ全般が好きな憲幸さんは「特に野球が好きなので、球場に行ってビールを飲みながら観戦してみたい」と笑顔で話す。
※広報誌「夢郷」 2022年7月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。