盛岡市の北部に位置する玉山地域で、両親と黒毛和種の繁殖牛7頭(親牛5頭、子牛2頭)を飼養する貴弘さん。東京のジュエリー会社で働いていた貴弘さんだったが、彫刻作家になる夢があり、昨年実家に戻ってきた。
その頃、近所で牛を飼っていた農家の方が体調を崩し、両親や近所の人たちで、その牛の世話をしていた。そして、実家に戻ってきた貴弘さんも、牛の世話を手伝っていた。
小さい頃から実家で牛を飼っていたので、違和感を感じることもなく牛を世話する貴弘さんがそこにいた。
「子どものころから牛を身近に感じていたので、牛がいる生活が自然に感じた」と話す。
令和2年になり、近所の農家の方が畜産業を辞めることになり、牛を手放すことになった。約半年間、世話をしてきた牛への愛着をもった大山家では家族会議を開き、両親と貴弘さんは話し合った。三人三様の考え方はあったが、牛を飼おうという気持ちは共通していた。
以前、曽祖父と父が牛を飼っていた時に使っていた牛舎があることと、退職後は牛飼いを考えていた父の芳弘さんのサポートもあり、貴弘さんは牛飼いを決意した。
2月、世話をしてきた和牛など3頭を購入した。最初に感じたのは、家族3人の繋がりが強くなったことだった。「牛がいることで家族の共通の話題があり、共有できる事を感じた」と話す。
父の協力もあり彫刻作家を目指し、創作活動をしながら牛の世話をはじめた貴弘さんだったが、今年8月の2度目の子牛の出産の時に初めて危機感を感じていた。「日中に出産が始まり、どうすれば良いか分からなかった。父に連絡がとれて何とかなったが、死なせてしまうのではと怖い思いをしました」と厳しい表情で話す。
牛の世話など日常作業は慣れてきた貴弘さんだったが、出産の経験はまだ少ない。
「経験のある父や近所の方々の協力はあるが、まだ知識や経験は不足しているので、一つずつ学んでいきたい。そして、現状は牛舎に余裕があるので、まずはそこを埋める規模にすることを考えている」と目を輝かせる。
牛は毎日接することで表情や性格の違いを感じ、生き物を飼う楽しさを感じている貴弘さんは「牛飼いは仕事より生活の一部だと感じている」と話す反面、命を扱う牛飼いの仕事の大変さも実感している。そして、小さい頃、雌牛が生まれた時に曽祖父が楽しそうに話しをしていたが、実際やってみて、その時の曽祖父の気持ちにも気が付いた。
学生時代に先生から言われた「何をやっても一生食べていけるとは限らない」という言葉が、今の貴弘さんの心に刻み込まれている。「生活環境が日々変化していく現代。自分の暮らしがどうなっていくか自分なりに模索しているが、生活の一部に牛がいることが心地よい。そして、両親、近所の人たちの協力で地域全体のつながりを感じている」と話す。
「彫刻の制作を進めながら、協力と支え合いで手を抜くことなく生き物を扱いたい」と、新しい生活空間を創出していく。
美術関係の大学で本格的な彫刻技術を学び、制作活動に汗を流す貴弘さん。
※広報誌「夢郷」 2020年10月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。