3.5㎞続く十府ケ浦の海岸線を望む野田村で、春ブロッコリー50a、露地キュウリ7a、ネギ30a、秋ブロッコリー40aを栽培する麗佳さん。今年の春に新規就農し、家族の協力を得ながら農作業に汗を流している。
東京で生まれ育った麗佳さんは農業とは無縁だったが、父がプランターで育てた野菜を食べるのが好きだった。「小学生の頃はキャベツが好きで、将来の夢はキャベツ農家になるって言っていました」と笑顔で話す。小さいながらにも野菜づくりに興味を持っていたが、東京という生活環境の中では夢の話だった。
そんな麗佳さんに転機が訪れたのは、20歳の時に結婚し夫の実家である野田村に来たことだった。実家が農家ということで心の中では楽しみの一つだった。
野田村に来てからは3人の子どもにも恵まれ、子育てをしながら勤めに出て、夫の実家の米づくりを手伝うという生活が続いていた。麗佳さんの心の中には「おいしい野菜を作りたい」という小さい頃に描いた思いもあった。一度は分からないながらも家の裏の畑にタマネギなどを植えてみたものの、震災の津波で流されてしまった。
その後、子育てと仕事に追われ生活していたが、ブロッコリーの新規栽培の体験会があり、夫が参加してきた。興味をもった2人は、耕作放棄地だった畑を借り、堆肥や籾を入れるなど土づくりから始め、令和2年に40aを作付けした。麗佳さんが思い描いていた「夢」への第一歩だったが、知識も経験もなく出荷できるようなものは出来なかった。
「おいしい野菜をつくりたい」という思いが強くなった麗佳さんは夫と話し合い、勤めていた会社を辞め、令和3年の春に新規就農し農家としての道を歩み始めた。
「2人とも初心者で知識も経験もないので、親戚などの先輩農家の圃場を訪ねたり、JAの担当者に相談して、自分たちがやっていることが正しいのかをすごく意識しました」と話す。また、実際の作業のイメージができていなかったため、出荷作業に追われ管理作業が間に合わない事もあった。「自分でできる範囲の品目構成や栽培面積など、しっかりした計画が必要だったと反省しています」と苦笑いする。
そんな中、計画していたキュウリ1,000箱、ブロッコリー10a当たり120箱の出荷を達成した。「色々な人たちに助けてもらいながら何とか達成はできましたが、失敗も数えきれないほどありました」と苦笑いする。
「将来は、遊休農地を活用しながら1年を通して農業で収入を得られるようになったら会社化して、雇用を生み出して地域を活性化できればと思っています。そして、若い農家さんが増えればうれしい」と、恥ずかしそうに夢を話す。
「ただ、見よう見まねで始めた農業で、今は修業の身。今年の数えきれない失敗の反省を生かし、一つ一つ技術や知識を学び、一人前の農家になることが当面の目標ですね」と笑顔をみせる麗佳さん。おいしい野菜を作る農家としての物語が始まっている。
料理が好きで、育てた野菜は必ず食べています。ピーマンの肉詰めが子どもたちに人気です。
※広報誌「夢郷」 2021年11月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。