岩手県沿岸北部に位置する久慈市で、経産牛52頭、和牛繁殖牛13頭を飼養する大樹さん。大学卒業後は北海道で暮らしていた大樹さんだが、36歳のときに地元に戻り、実家で酪農と和牛繁殖を生業として8年目になる。
大樹さんの実家は、祖父母の代から酪農を営んでいた。子どもの頃から牛がいる生活で、中学生の頃までは手伝うこともあったという。「手伝いはしていたが、将来、家の酪農を継ぐということは考えていなかった」と、当時を話す。
高校は普通高校に進んだ大樹さんだが、大学は農学部へ進み、繁殖について学んだ。卒業後は北海道にある乳業メーカーに就職し、製造する乳製品の品質管理などを担当していた。仕事で乳製品を作るなかで原料となる生乳に興味を持ち始めていた。そんな時、道内にあるメガファームで新規で酪農経営を始めるために人材を募集していることを知った。そこで、行動を起こした大樹さんは同牧場に就職し、酪農事業の立ち上げに携わることになった。
乳牛や設備の導入から始まり、4年目では約400頭の経産牛を飼養し、軌道にのせるまで北海道での酪農を体感してきた。「実家での酪農は見てきたが、規模の違いを感じた」とその当時を話す。
その後、道内のJA関連組織に就職した大樹さん。農業が盛んな北海道での農政活動や様々な農業情勢を広く目にしてきたが、その中でも青年部組織や女性部組織の活発な活動に刺激を受けていた。そして「生まれ育った実家には農業ができる環境がある」と気付いた大樹さん。いつかは地元でという心の片隅にあった気持ちも大きくなり、地元に戻ることを決意した。
実家に戻り、和牛繁殖を中心に酪農の仕事を始めた大樹さんだが、特に意識をしていたのが人とのつながりと効率化だった。卒業後は北海道で暮らし、様々な経験が原動力になっていた反面、地元を離れている時間が長く人とのつながりが少なかった。大樹さんはすぐに、アグリフロンティアスクールに通うことにした。今までの経験では足りない知識を得ることも目的ではあったが、人とのつながりを意識しての行動だった。
また、JAの青年部活動の参加や米や肥料の配達などもこなし、地元で農業を続けていく上で必要不可欠な人とのつながりを広げていった。「新たな出会いもたくさんあったが、地域にたくさんある優良な先輩酪農家の存在は大きい。自分の経営にも参考になり感謝している」と話す。また、実家では放牧のために耕作放棄地の整備や搾乳時間を変えるなど、経営面と作業面を意識した効率化も進めてきている。
「酪農を中心に、和牛繁殖と集落営農組織の水田の複合経営で安定した経営を目指している」と話す大樹さん。集落営農組織の事務局を始めたのも、行動することで地域の人に覚えてもらうことで声がかかった。「地域から農業をなくさないためにも、地域の資源を有効に活用していきたい」と話す。自らの酪農を中心とした複合経営の確立を進めながらも、地域の農業という大きな課題と向き合っている様に感じられる。
大学から始めた水泳を今も続けています。大会にも出場し、現在も50mを29秒台で泳いでいます。
※広報誌「夢郷」 2022年5月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。