未経験からスタートした農業の世界
学生の頃は建築を学び、卒業後は学校で実習助手として働いていた新渕さん。農業は全くの未経験だったが、結婚を機に妻の実家を継ぐことになり花巻市に移住した。トラクターの運転すら初めてという中で、義父や地域の先輩たちに教えてもらいながら農家への道を歩き始めた。
婿入りした当時6haだった圃場は、「あそこの家に若いのが来たっけ」と近隣の農家から畑を預けられたりするうちに30haに拡大。花巻に来て5年が経つ頃には、義父から経営を正式に移譲された。しかし新渕さんは、これまでと同じ個人農家を続けることに限界を感じていたという。米や小麦の収穫量はおおむね決まっているため、飛躍的にアップさせることは不可能に等しい。その反面、機械設備などにかかる生産コストは年々増えるばかりだった。
そんな状況を打開しようと仲間とともに話し合い設立したのが、農事組合法人リアルだ。リアルという名前は、現実的に継続可能な農業を目指すという思いに由来する。やがてほかの生産組合も巻き込んで農地は100haにまで広がり、今年で5期目を迎えた。現在ではおよそ80名ほどの組合員が加入し、米や小麦などのほか、春まきタマネギをメインに生産している。
これまで岩手県では、秋に種をまいて翌年の春に収穫する「秋まきタマネギ」が主流だった。しかし越冬させることでタマネギの成長は気候に大きく左右され、収穫量の不安定さが課題となっていた。その状況を踏まえ、新渕さんは生まれ故郷の北海道で行われている「春まきタマネギ」の栽培方法を採用。年明けから苗を準備して夏に収穫するやり方で、県内でも群を抜いた収穫量を達成した。現在では一法人として東北トップクラスの生産量を誇っている。
継続した事業で雇用の安定を図る
農業だけでなくPTA会長や野球部の父母会長なども務める新渕さんは、多忙な毎日を送っている。経営塾の存在もJAの職員に声をかけられて初めて知った。スケジュールの調整には苦労したものの、経営塾に参加したことで異業種の人たちとの交流や、新たな考え方に触れることができた。
農業はいくら明確な生産目標を掲げても、天候などの自然に左右されることがほとんどだ。実際に今年のタマネギも5tほど収穫したものの、土の状態が悪く半数が腐れ気味だったという。しかし新渕さんは「原因を明確にすることが大切。仕方がないで終わらせてしまっては、また同じ失敗を繰り返す可能性があります」といい、中部農業改良普及センターやJAに協力を依頼し、詳しい原因を調査している。現実をしっかりと受け止め未来に生かす。それが農事組合法人リアルの基本姿勢でもあり、軸ともいうべきものなのだろう。
また6次化としては、タマネギを福島県にある業務用カット野菜の専門業者に卸している。ここでカットされたタマネギは、大手牛丼チェーンやコンビニエンスストアの弁当の具材に使われるそうだ。衛生面の管理などから自ら6次化を行うことは難しいが、こうした専門業者とつながることで安定した販路を確保している。
「自分はただ若いから代表をやっているだけです。実際は周りのみんなに盛り上げてもらっています」と、新渕さんは会話の端々に仲間への感謝をにじませる。だからこそ継続した事業で雇用を安定させたいという思いが強い。それを叶えるためにも経営の必要性について深く考え、周囲の意見を聞く機会となった経営塾は良い刺激になったと語った。
仲間の存在が前へと進む力になる
農業を始めて21年。今年は新しくピーマンのハウスを建て、ほかの農作業が一段落する11月まで収穫作業を行う予定だ。12月には来年に向けてハウスを整備し、1月からは春まきタマネギの苗づくりをスタートさせる。こうして1年を通して仕事を作ることで、雇用する側もされる側も双方が望ましい環境を整えることができる。農事組合法人リアルでは若手からベテランまで幅広い年齢層の従業員が働いているが、新渕さんにとってはその誰もが信頼できる大切な仲間だという。
「何ごとにも前向きな姿勢にいつも励まされていますし、自分にはないアイディアをもらうことも多いです。自分はこれでいいんだと決めてしまうと伸びしろがなくなってしまうので、より多くの人たちと出会い、世界を広げることを心がけています」と語る。
もともと開拓地だったというこの土地は、表土が浅く耕せばすぐ砂利に当たる。田んぼには毎日のように水を入れなければならないし、ロータリーの刃は壊れやすく設備の更新にかかる費用も馬鹿にならない。しかしそんな厳しい土地だからこそ、ここで農業を営む人たちは周囲とともに前を向くことを忘れないのだ。北海道から海を渡り、この地に根付いた新渕さん。これから先も農業を通して、この土地で仲間とともに生きていく。
プロフィール
新渕伸彦さん
1975年北海道札幌市生まれ。北海高等学校を卒業し、青山工学専門学校(現・青山建築デザイン・医療事務専門学校)で建築を学ぶ。その後、高校の実習助手として勤務し、結婚を機に妻の実家である農業を継ぐ形で花巻市に移住。現在は水稲や小麦のほか、春まきタマネギを主とした生産を行っている。