「農業もいいな」と30歳で転身
真夏の日差しが山間の町に降り注ぐ。蝉しぐれが降る高台のハウスの中は、ミニトマトが朱赤の輝きを放っていた。ハウスの隣からは露地栽培のピーマンの香りが漂ってくる。 ミニトマトもピーマンも収穫最盛期の夏、及川華代さんは両親と一緒にハウスの中で汗を流していた。
及川さんが新規就農者として出発したのは今年の春。10年間、盛岡近郊のJAに勤務した後、30歳の転身だった。 実家は自家消費分の稲作と野菜を作る兼業農家で、及川さんは4人姉妹の3女という環境だったが、「高校卒業後に進学した短大も農業系で、もともと農業に関わる仕事はいいなと思っていました。 両親は、直接は言わないけど、姉2人が嫁いでそろそろ帰ってきてもいいんじゃないかという期待を感じるようになって」と笑う。
機が熟して故郷の藤沢町に帰った及川さんは、就農に必要な知識や技術を学ぶため、一関市の新規就農支援制度を利用。 栽培する品目はお父さんが始めたピーマンと、新たにミニトマトを選定。藤沢町のピーマン農家と室根町のミニトマト農家で1年間研修を積んだ。 「ピーマン農家ではパートを何人も雇うなど大規模な農家経営が見られたし、ミニトマト農家は野菜や田んぼも作っていて、地域の草刈作業やほかの農家研修など、幅広く農業を学ぶことができました」と、収穫は多かったようだ。
研修期間内には金ヶ崎町の県立農業大学校の講習会も受講し、同じく農業を志す仲間にも出会った。「若くても大規模農業を実践している人もいるし、みんな目標を持って楽しんでやっている。 いろんな人に会ってみて、農業はやり方次第で楽しいものだと実感できたし、生き生きと農業に取り組んでいる仲間を見れば自分も頑張れる」と及川さん。 1年間、実際に農作業を体験してみて不安だった体力にも自信がつき、いよいよ自分の足で歩き始めた。
若い人が好きになれる農業を
現在の経営規模はピーマン10aとミニトマトが7a。今のところピーマンはお父さんが主体だが、ミニトマトは自分で責任を持っている。農業を仕事として5カ月余り。 「体力のことも含めて思ったより大変ではなかった。暑いときの作業は辛いけれども、本当に暑いのは1年のうちの幾らでもない。 自宅での作業なので休憩のときは抜けられるし、昼寝の時間も取れます」と、自分のペースを大事にしている。
一方で少しずつ課題も見えてきた。「今は水管理ひとつをとっても難しいと思う。気温によって調整しなければならないのに水の多い、少ないが流した時点ではわからない。 まだ実体験が少ないので、経験を積み重ねていくことで知識や技術を身に着けていきたい」と、前を向く。 これから目指す方向については、「楽しくというわけではないが、苦労が多いという農業には疑問があります。休む暇もなくがむしゃらに働いても長続きしないと思うので、ずっと続けられるやり方を見つけていきたい。 若い人が好きになれる農業でありたいと思う」と話す。
研修で知り合った新規就農者の仲間は20人余り。卒業時にLINE のグループを組み、情報のやり取りや意見交換など連絡を取り合っており、「会えなくてもみんな頑張っているなと励まされる」という。 JAの部会にも積極的に顔を出すなど仲間作りも始まったばかり。肩ひじ張らずに自然体で好きな農業に一歩ずつ近づいていく。
プロフィール
及川 華代さん
1986年一関市藤沢町生まれ。秋田県立大学短期大学部農業工学科卒業。 岩手中央農協に10年勤務した後、30歳で帰郷。 一関市の新規就農支援制度で1年間の研修を経て2018年春に就農。趣味は料理。
JAへの要望
研修は農作業が忙しくない時期に開催してほしいと思います。 これから先、規模拡大などで必要なときは千葉さんに相談したいと思います。
JAいわて平泉 藤沢支店
岩手県一関市藤沢町藤沢字町裏100