米の国 日本の未来
小野寺 翔吾
軽米町立小軽米中学校2年
僕の住んでいる街、「軽米」は町中に緑があふれた美しい町です。特に夏は、青々とした米の苗が一面に広がっていて、見ていると爽やかな気持ちになります。
僕の家でも、毎年祖父母が米を育てています。僕は犬の散歩をしながら、毎朝、田んぼの様子を見ることができます。日々、成長していく苗を見るのは、僕の毎日の楽しみの一つです。そして、「たった二人でここまで育てるなんてすごいなあ」といつも思うのです。祖父母は、休むことなく、田んぼの様子を確認し、水の高さを調整したり、雑草を刈ったり、手間と時間をかけて稲を育てています。夏の炎天下での草刈りは特に大変そうです。苦労しながら米を作ってくれるおかげで、僕は毎日、おいしいご飯を食べることができます。
ところが、この我が家の田んぼに昨年、大きな変化が起きました。三反五畝ある田んぼの内、二反で飼料米を育てることになったのです。祖母に理由を聞くと、「パン食や輸入米が増えて、国で米が余ってしまった」のだそうです。僕は、この話を聞いて、今まで米が余っていることをなんとなくは知っていたけれど、それは、他でもない自分の身近に起こっている問題なんだと初めて気づきました。
確かに、昔に比べると、米を主食として食べる機会は減ってきているかもしれません。実際、パン食も増加しているし、僕自身、休みの日の昼食に手軽に作れるラーメンやスパゲッティなどの麺類を食べることも多いです。学校で食べる給食も、週に二日は御飯以外が主食です。食の多様化によって、人の好みも変わってきているのもわかりますが、僕は、このまま米を食べることが少なくなると、やがては米を食べる習慣すらも、失われていくのではないかという不安がわいてきました。
僕は、小学校五年生の時、実際に米作りを体験させていただいたことがあります。暑い中での田植えは、途中で投げ出したくなるくらい大変だったことを今でも覚えています。そこで作ったのは「古代米」と呼ばれるもので、白米とは違って、赤や紫などの色を持った米でした。食べてみると、普段食べている米とは違い、独特の香りと風味がして、とてもおいしかったです。学校の授業で調べると、「古代米」は、農薬が残りやすく、稲の草丈が長いので倒れやすいなど、育てるのが大変難しいものであること、だから、現在ではほとんど生産されないことがわかりました。
こんなにおいしくても、さまざまな理由で作られなくなる米がある。もしかしたら、僕が今食べている白米も、同じ運命をたどるかもしれません。
日本の主食として親しまれている米は、日本の「和のイメージ」を代表する食べ物です。かめば甘みが出ます。焼き魚などの和食にも、ハンバーグなどの洋食にも合う素晴らしい食べ物です。僕は、毎日の食事から米が消えていってほしくありません。ずっとつないできた米の歴史を、とぎれさせることなく、次の世代の人にも残していきたいです。そして、ふるさとはずっと、米の緑にあふれる場所であってほしいと思います。
今年、僕の家の田んぼに起こった変化をきっかけにして、僕は米について考えることができました。そして、いつも身近にあったけれど気づかなかった問題にも、気づくことができました。僕は、米に、真剣に、向き合っていくことが大切だと思います。そのために、まずは、ニュースなどをしっかり見て、関心を高めることから始めたいと思います。